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青山二郎の眼 [Art]


「青山二郎の眼」展
世田谷美術館

銕仙会にお誘いいただいたAさんから招待券を頂戴して、今回も他のメンバーともどもご一緒させていただくこととなった。用賀駅からバスに乗ったらそのAさんが既に乗っておられて、そのまま美術館へ。既に17時頃になっていたが、ぼちぼちと見て回ることに。

正直なところ、青山二郎という名前はどこかで見かけたことがあるものの、チラシの「白洲正子の物語も小林秀雄の骨董もこの男から始まった」という惹句にようやく引っかかった程度で、ほぼ事前知識無しでやって来たが、興味深い展示品の数々に触れることができたのは嬉しかった。

希代の目利きで「骨董」の完成者とされ、二十代で柳宗悦とともに民藝運動を支え、その後も白洲、小林の他にも永井龍雄、中原中也、河上徹太郎らが文学論・骨董談義に花を咲かすサロンの中心人物だったという。その類い希なる「審美眼」自体の高みは、文字通り雲の上の如く及ぶべくもないところにあると思うのだが、麓でうろうろとしている我が身からでも、その一端を垣間見ることはできたように思う。

展示は以下の4部に区切られていた。
 第1章 鑑賞陶器 ー中国古陶磁
 第2章 朝鮮考 ー李朝、朝鮮工芸
 第3章 日本の骨董
 第4章 装幀家・青山二郎とその交流

どの部門にもそれぞれ印象深い展示品はあったが、中でも「第3章」での幾つかの織部や「紅志野香炉」などには足が止まり、更に本阿弥光悦の「鹿図蒔絵硯箱」と「山月蒔絵文庫」のモダンなデザイン性は素晴らしかった。蕎麦猪口のコレクションも、羨ましい限りの品々だった。

また、小林秀雄らとの交流におけるやりとりを示す文章が掲示されていたのもなかなかに興味深く、小林に対して「個々の物が見えて来れば、後は割合に頭でいけるから彼の(お手のもの)に近くなる。」などと言い切っているのを見ると、何やら痛快さすら感じてしまった。

全体は一時間弱で見終わってしまって、恐らくは展示品達の価値のごく一部に触れただけではあったのだろうが、自分なりに来ただけの値打ちはあったように思う。帰りがけに見かけた図録は、流石に装幀家としても数々の足跡を残した青山ゆかりの展覧会に相応しく、前述の「山月蒔絵文庫」をモチーフにした箱入りで冊子も含め立派な装幀(新潮社装幀室の手によるものとのこと)。これを購入した満足感も持って、閉館時刻の18時過ぎに美術館を後にした。

その後、Aさんともう1名のツアーメンバーも合流して計3名で三軒茶屋まで戻る。お目当ての「赤鬼」は満員だったので、随分と久しぶりに焼酎メインのダイニングバー「」へ。美術よりも歌舞伎、能、映画などを中心に、昔の話から最近の状況までとりとめなく話をさせていただくことができたのは楽しかったが、結果的に結構長居をしてしまい、最も遠くまで帰るAさんには少し申し訳なかった。


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