「japan 蒔絵」展 [Art]
サントリー美術館 2009年1月12日(月)
この日は大阪から午前中に移動して東京に戻って来た。夜にはBillboard Live 東京でChaka Khanのライブがあるが、それまで少し時間があったので、同じミッドタウンにあるサントリー美術館に行ってみることにした。
昨年秋に京都で開催されてからこちらに来たもので、展示の前半は10世紀から16世紀までを中心に、京都国立博物館や高台寺、建仁寺などから国宝、重文も含めた所蔵品が並び、かなり古いものでも状態は良くなかなかに味わい深い。
一方、展示の中盤以降は安土桃山の「南蛮漆器」、さらに江戸時代にかけてヨーロッパに渡ったものが中心。特に鎖国以降の「紅毛漆器」と呼ばれ、現在はヴィクトリア&アルバート美術館やギメ東洋美術館に所属されている品々の豪華な華やかさには圧倒される。さらに「ダイヤより蒔絵」と言っていたマリア・テレジアの影響も受けて熱心な蒐集家だったというマリー・アントワネットのコレクションはヨーロッパ有数のものとのことで、細工の細かいミニチュアの箪笥のような小物入れ、香合など、優雅かつ贅沢なものが並ぶ。
その他の王侯貴族所有の逸品も含め、フランス革命以降に散逸する一方でロスチャイルドを初めとする資本家、実業家などに所有されながら、現代では美術館に収まって我々の目に触れること自体が奇跡のようでもある。
まだまだゆっくり観ていたかったが、気がつくと次の予定の集合時間が迫ってきたこともあり、少し後ろ髪を引かれながらも慌ただしく会場を後にした。
今年行った美術展(5月以降) [Art]
三愚舎ギャラリー(雑司ヶ谷) 2008年5月11日(日)
柿右衛門と鍋島 ー肥前磁器の精華ー
出光美術館 2008年6月1日(日)
コロー 光と追憶の変奏曲
国立西洋美術館 2008年6月6日(日)
エミリー・ウングワレー展 アボリジニが生んだ天才画家
国立新美術館 2008年6月29日(日)
英国美術の現在史:ターナー賞の歩み展
森美術館 2008年7月7日(月)
アートフェスタ・イン・大山崎町 アートで架け橋 ART AS A BRIDGE
アサヒビール大山崎山荘美術館 2008年7月21日(月)
没後50年 ルオー回顧展
出光美術館 2008年7月26日(土)
創刊記念『國華』120周年・朝日新聞130周年 特別展「対決ー巨匠たちの日本美術」
東京国立博物館 平成館 2008年8月3日(日)
小袖 江戸のオートクチュール
サントリー美術館 2008年8月31日(日)
浮世絵 ベルギーロイヤルコレクション展
太田記念美術館 2008年9月28日(日)
尾形光琳生誕350周年記念 特別展「大琳派展ー継承と変容ー」
東京国立博物館 平成館 2008年11月14日(金)
ボストン美術館 浮世絵名品展
江戸東京博物館 2008年11月16日(日)
原美術館コレクション展 [Art]
原美術館コレクション展
原美術館 2008年4月27日(日)
今月初め頃から歩数計を使い始めて毎日の歩数を記録している。今のところ均してみると7500歩程度にしかならないが、これを続けていると「せめて平均値は下げたくない」という気持ちが働く。今日も昼過ぎまで家でのんびりしていたが、このままではまずいと思って腰を上げることにした。
行き先の原美術館は、雑誌などで名前を見たことがあった程度で殆ど知らなかったのだが、ついこの前東京に来る友人からお薦めの美術館や展覧会を尋ねられ検索してみた時に見つけて、ちょっと気になっていた。立地が御殿山という頃合いの場所だったこともあり、散歩がてらちょっと行ってみることにしたという次第。
JR五反田駅から都バスに乗り、御殿山のバス停から住宅街を5分弱歩いて到着。東京ガス会長、日本航空会長、帝都高速度交通営団(現・東京メトロ)総裁などを歴任した原邦造の私邸として昭和13年(1938年)に竣工した建造物で、設計者の渡辺仁は東京国立博物館本館や銀座和光の設計でも知られる当時の代表的建築家だったとのことだが、1979年以降は現代美術に特化したプライベートミュージアムとなっている。
扇形レイアウトの3階建ての建物に入る。到着が遅くなり閉館まで残り時間は1時間ながら、しっかり入館料1000円を支払って展示会場へ。
1階から順に見ていくが、廊下に展示されたマリック・シディベや荒木経惟などの写真作品、またギャラリーⅡでは奈良美智、横尾忠則、ナム・ジュン・パイクなどお馴染みの顔ぶれの作品も展示されていた。
2階、3階も各室に様々な作品が並べられていたが、印象的なのは部屋そのものに美術作品を作り付けてしまうインスタレーションと呼ばれる一連のもので、3階の白タイルに囲まれた一室を作品としたルイノーの「ゼロの空間」なども、意外と楽しめるものだった。
また、1階中庭側には磯崎新の設計により増設されたというカフェがあり、中庭に置かれた作品も眺めることができるので、次の機会には試してみたいという気もした。
一通り見て回ってから閉館直前に駆け足でmuseum shopへも行ってみたが、今回の展覧会としては特に図録などはないとのことで、それだけはちょっと残念。
常設の展示品が多い現代美術の小規模美術館ということで、足繁く通う対象ではないかもしれないが、建物内外の佇まいも含めて独特の味わいもあり、少し間を置いてからまた出かけてみてもよいかな、という気がした。
この後、三菱開東閣の脇を通って品川駅まで歩き、その後都心方面で少し買い物をして帰宅。歩数は8600歩ということで、所期の目的は何とか果たした形。
国宝 薬師寺展 [Art]
平城遷都1300年記念
国宝 薬師寺展
東京国立博物館・平成館 2008年4月6日(土)
京都の友人から送ってもらった招待券があったので、午後からは上野まで足を伸ばす。JR上野駅公園口から降りるといつもより人出が明らかに多い。花見の脇をかすめて国立博物館までたどり着き平成館へ。
入場して音声ガイドを借りると今回のナレーションは市原悦子で、落ち着いたトーンが心地良い。
まず最初は休ヶ岡八幡宮の境内を模した展示室になっており、国宝「八幡三神坐像」、重文「板絵神像」を中心としながら仏教と八幡神の関係の解説なども興味深い。
次の展示室でも東塔の古い伏鉢、水煙の模型、仏足石など薬師寺伽藍を構成する品々が並べられた奥に、すくっと立っているような国宝「聖観音菩薩立像」が目にとまる。有間皇子がモデルとも言われるこの像には、観音菩薩としての凛々しさとともに、大人になりきっていない青年の清々しい姿形も確かに感じられた。
続いて次室へはスロープ状の通路があり、登り切って折り返すと目の前に「日光菩薩立像」「月光菩薩立像」が登場する。一段高い場所から二体の胸の位置辺りに正対する形になるので、見上げる位置とはまた違った印象。前室の「聖観音菩薩立像」と異なり、腰の辺りの重心を左・右それぞれに置いた姿は官能的と言ってしまいたくなるような存在感があり、なぜか胸に迫るものを感じた。
その位置から再度スロープを降りると今度は広い展示室に立つ姿を近くから見上げる形になるのだが、ここでは髪の毛、筋肉や骨格の表現のリアルさや、鋳造技術の精緻さ、そして素材の質感などを食い入るように眺めることになる。また前室と同様、ここでも背面まで回り込んでじっくりとその姿を味わうことができたのも嬉しかった。
展覧会後半は、まず「第2章 草創期の薬師寺」で藤原京にあったとされる本薬師寺のものも含め、出土品を含む所蔵の品々が並べられるが、ここからも往時の空気が伝わって来るような気持ちになる。続いて「第3章 玄奘三蔵と慈恩大師」では、法相宗の根本経典を唐にもたらした玄奘三蔵と、その弟子で宗祖とされる慈恩大師に関し、経典類や画像が展示されている。最後の展示室は「第4章 国宝 吉祥天像」で、画像のパーツ毎の解説などが並べられた通路の奥に本体が展示されていた。小さい画像の前を並んで見ていくスタイルではあったが、思ったよりもじっくりと眺めることができ、緩やかな満足感を持って会場を後にした。
その後、本館裏の庭園が「博物館で花見」と称して一般公開をしていたので寄り道。手に入れたばかりのカメラで名残の桜など何枚か写してみた。ただ、5時過ぎになっていて池の向う側は立ち入り禁止となっていたのは少々残念だった。
写真展二題 [Art]
この日はまず朝から髪を切りに出かけてから写真展二つを経て、その後は文楽へということで、結構忙しい。
まず最初は銀座での例年通り杵屋栄十郎さんからご案内を頂いた「第21回とろう会写真展」へ。芝居関係者を中心としたアマチュア写真家の展覧会だが、今年はメンバーに中村芝雀さん、鳥羽屋里夕さんのお二人が加わって更に華やかに。栄十郎さんはNY(セントラルパークだったかな)のリスの写真。会場ではご本人とともに他の観劇仲間とも出会いしばし話し込む。
続いて日比谷線に乗って恵比寿の東京都写真美術館へ向かい、京都の友人から招待券を送ってもらった「土田ヒロミのニッポン」展に。構成は以下のとおり。
<Part1 日本人>
「俗神」 ー過去に繋がる私ー(1968ー75)
「砂を数える」 ー拡大する経済 都市化する私ー(1975ー89)
「パーティー」 ーバブル経済 踊る私ー(1980ー90)
「新・砂を数える」 ー新世紀 Fake化する私ー(1995ー2004)
「続・俗神」 ー日本のまつりを記号化ー(1980ー2004)
<Part2 ヒロシマ>
「ヒロシマ三部作」(1976ー94)
<Part3 Dailyセルフポートレイト>
「Aging」ー時間を巡る私ー(1986年7月〜)
Part1は、宗教や祭りの空間と経済成長期を撮り続けたものだが、一見異なる世界のようでいて実は後者の「群衆」「群れる人々」にも土俗的な姿が見えてきたりする。また、同じように都市の群衆を撮っていても、バブル後の方にはなぜかそれ以前の熱気が無いのも印象に残った。また「続・俗神」はそうした意味づけを抜きにして純粋に地域の土俗の記録として意味のあるものだと想った。
Part2は、被爆体験記「原爆の子」(1951、岩波新書)からその後の被爆者の消息を取材した「ヒロシマ1945〜1979」、原爆遺跡を記録した「ヒロシマ・モニュメント」、遺品や原爆資料を記録した「ヒロシマ・コレクション」と続く。物故者や取材拒否されたケースも含め淡々と陳列されていることが、却って重みを感じさせる。
Part3は、毎日自分の顔を定点観測的に記録として撮り続けた結果を展示している。だれでも考えそうだと言えばそれまでかもしれないが、自分の老化に気づいたことが制作のきっかけになったとのこと。自分自身を対象としたという着想と毎日の継続ということに意味があるのだろう。徐々に変化していく姿をパラパラマンガの形でも見ることができるように展示されているのも興味深かった。
「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展 [Art]
フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展
国立新美術館
考えてみたら今月は予定が立て込んでいるので、17日までのこの展覧会も来るチャンスが無いと気がつき、ちょっと頑張って歌舞伎座から日比谷線で六本木へ。美術館に到着したのは既に日の落ちた17時で、閉館の18時までは1時間ほどしか無かったが、目玉は一点だけなのもわかってはいたので、サクサクと見て回るつもりで場内へ。
場内はしっかりと人は入っているが混雑しているとまでは言えず、何とかストレスを感じずに見て回ることができた。展覧会の構成は下記のとおり。
1.「黄金時代」の風俗画
2.フェルメール《牛乳を注ぐ女》
3.工芸品/フェルメールと音楽
4.版画と素描
5.偉大なる17世紀の継承と模倣
6.19世紀後半のリアリズムの風俗画
第一部では、フェルメールと同時代の17世紀後半を中心とした多くの風俗画が並ぶ。ヤン・ステーンなど、その時代独特の教訓的寓意を含んだものが多いが、不道徳なものの象徴として賭博や色事と並んで居酒屋などでの酔態が多く取り上げられているのを見ると、ニヤリ(ギクリ?)とさせられる。
第二部は、お目当ての「牛乳を注ぐ女」の展示だが、最前列は止まらずに移動しながら見て、じっくり見る人はさらに後ろのロープの外から、という形。実物は想像よりも小さいサイズで、できればもう少し近くから見たいところ。繰り返し眺めると、最大の特徴である光の自然な柔らかさを中心に細部の一つひとつがきちんと描き込まれていることと同時に、全体の得も言われぬバランスの良さに引き込まれてしまい、しばし飽きることがない。
展示スペースに入る前に液晶ディスプレイ上でビデオ画像による解説があったり、近年のX線解析による研究成果などが展示されていたのも興味深く、画家が想像以上に計算し尽くし何度も線や背景を修正した結果であることが明らかにされることで、理解の助けにもなっていたと思う。
第三部は、フェルメールと同時代の陶器、ガラス等の工芸品の展示に加えて、当時の部屋を再現したスペースの壁やテーブル上などに10点以上の古楽器が並べられているコーナーがあり、実物をこれだけまとめて見られる機会は少ないだけに、なかなか興味深いものだった。
第四部以降は時間の関係もあって駆け足になったが、引き続き使用人、商人、農夫などを描いた18世紀以降の風俗画が多数展示されており、興味を惹く作品ばかりとは言えないものの、それぞれの時代の雰囲気を伝えるという意味では全体としてまずまず楽しめた。
こうして音声ガイドもなんとか最後まで聞いて1時間で回りきり、ショップでいつものように自分用の土産にクリアファイルだけ買い込んで、閉館時間と同時にそそくさと会場を後にした。
大徳川展 [Art]
この三連休も色々と所用のある中、実は前日にも15時頃に上野まで足を運んだのだが何と「70分待ち」で、案内係に「開館時間前に並べば先行する入場者はいないので・・・」と言われて、少し意地になって朝から再度上野へ向かうことに。
開館時間丁度の9時30分に到着すると、既にチケット売り場には列が。平成館まで進むと入場まで4列に並んで待ち、結局入館したのは9時50分頃だった。
会場は当然混雑していたが予想の範囲内。とは言え、通常の美術展来場者よりは「物見遊山」な様子の老若男女が多く、仲間内のおしゃべりも多いような雰囲気の中、忍耐強く少しずつ見て回ることに。
第一章「将軍の威光」は、家康所用の具足、太刀等が目立つが、自筆の小倉色紙なども微笑ましい印象。徳川光圀所用とされる印籠は、ドラマのイメージどおりだが、実際には普段づかいではなく儀礼的な場面で用いたらしい。終盤には吉宗が始めた目安箱の鍵や、尾張家の徳川義直所用で当時としては最先端だった望遠鏡なども目を引いた。また、家康への征夷大将軍宣旨や大政奉還の上意書と勅許の写しなども、いかにも歴史的価値の高そうなもの。
第二章「格式の美」では、「大名物」「名物」と称される茶碗等が数多く展示される。恐らくは芸術的価値の高い物も少なくはないのだろうが、全体としては将軍家を中心とした支配体制を支えるための道具としての役割を持たされた品々ということになる。それでも、「源氏物語絵巻」や室町期の茶道具など、歴史的に貴重な文物を受け継ぐという意味で堅固な幕藩体制の果たした役割は大きかったということだろう。
第三章「姫君のみやび」は、まずは三代家光の長女・千代姫が尾張徳川家へ嫁いだ時の婚礼調度品が、国宝の品々も多く圧倒的。純金の台子・茶道具や、あらん限りの蒔絵を施した道具箱・文箱の数々が並び、芸術的価値というよりはこれでもかという豪華さに息を呑む。終盤には、幕末に皇室から降嫁した和宮の婚礼調度や所用品が展示される。長州征伐に向かう家茂にねだった土産の西陣織が、結果として途上の大阪城で客死した夫の形見として遺骸とともに江戸にもたらされたという「空蝉の袈裟」は、和宮の詠んだ「空蝉の 唐織ごろもなにかせむ 綾も錦も君ありてこそ」という歌と合わせ切なさを伝える一品。
全体としては、豊富な名古屋・徳川美術館の所蔵品を中心に、日光・水戸・紀州・江戸のものを絡めたという印象だったが、やはりこれだけのものをまとめて見る機会としては、なかなか得難いものではあった。
平成館を出てから、これも前日時間切れで入れなかった「秋の庭園開放」へ。本館北側の庭園が12月2日まで開放されているもので、池を中心とした庭園を各所から移築された茶室等が取り囲んでいる。京都や東京各所の歴史ある庭園などと比べると風情にはやや乏しいが、本館の裏にこれだけの庭園があること自体なかなか贅沢で、短い時間ながらゆったりと楽しんだ。
結局、博物館を後にしたのは13時頃だったので3時間以上場内で過ごしたわけだが、混雑を別にすれば休日午前の過ごし方としては悪くはなかったなと、改めて思った。
BIOMBO/屏風 日本の美 [Art]
京都で博物館に勤める友人からオープニングプレビューの招待状を譲ってもらっていたが、金曜日の午後でやはり会社を抜けられず、残念ながらそれには不参加。ただ、招待状の封筒で会期中入場できるということで、会期も半ばを過ぎてようやく足を運ぶことに。
しっかり雨が降っているのに相変わらず混雑している東京ミッドタウン。人混みを抜けて3階まで上がり会場へ。場内へ進んでも、来館者はかなり多い。
入場した正面には、チラシにもあった当館所蔵の重文「泰西王侯騎馬図屏風」が、なかなかの迫力。音声ガイドによると、右から二面目の褐色の肌をしているのはアビシニア王だということで、聞いたことはあるがどこのことだったかと思っていたが、帰ってきて確認したらエチオピアの旧名だとのこと。同じ図案が組み込まれている「二十八都市・万国絵図屏風」は、ヴェネチアやイスタンブールなど様々なヨーロッパの都市の絵と組み合わされて、なかなか贅沢感がある。
希少性という点では、知恩院所蔵の国宝「法然上人絵伝」や、今では国内で数点しか無いという「白絵図屏風」など。
更に、今展の最も大きな話題である「祇園祭礼図屏風」「社頭図屏風」「賀茂競馬図屏風」だが、当館、ケルン東洋美術館、メトロポリタン美術館、クリーヴランド美術館に別れていた屏風を一堂に会してみると、元々は同じ襖絵だったという、時空を超えたパズルのような展示は、やはり興味深い。また図案自体も、祇園祭の状況が細かく描かれているだけでなく、参加している人々の顔がほぼ全て笑顔なのには驚かされるし、300年以上前の活気が伝わってくるような気持ちになる。
後半では、大阪歴史博物館所蔵の重文「関ヶ原合戦図屏風」のスケールの大きさや、豊国神社自身が所蔵している「豊国祭礼図屏風」の質感の高さなどが目を引くが、それに続く「武者図屏風」「富士巻狩図屏風」など、江戸時代に朝鮮通信使に送られ現在はオランダのライデン国立民族学博物館所蔵となっている屏風も、その当時の工芸品としての充実度を感じさせてくれる。一方で、全体に金地にぎっしりと描き込まれた屏風が多い中で、尾形光琳筆「鶴図屏風」は良い意味で力が抜けていて観る者をホッとさせてくれる雰囲気があった。
来場者が多かったので、少し遠い位置からじっくり眺めて部屋に置かれた雰囲気を想像することは少々難しかったが、やはりこれだけレベルの高い作品を屏風という共通項で括って展覧会に仕立て上げた当館の力には敬意を払うべき、という気持ちになった。全体に展示替えが多いのは良し悪しだが、時間があればもう一度訪れてみたい。
「京都五山 禅の文化」展 [Art]
「京都五山 禅の文化」展
東京国立博物館
先日京都に行った時に招待券を貰っていたのだが、気がついたら会期が来週までということで、最終週は避けたいと思って出かけることにした。
平成館に向かう途中で、4月に改装された表慶館のドームが目に付いた。正面玄関横の百日紅(さるすべり)が鮮やかだった。
平成館に入り2階に上がって音声ガイドを借りて展示室へ。
今回の展示は、室町時代以降に中国に倣って「五山」と称した南禅寺、天竜寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺に伝わる仏教美術品をメインに、鎌倉・室町期を中心とした禅文化を紹介する企画とのこと。ポスター等では"Let's Zen!"などと宣伝していたものの、どうしても対象が地味なので入場者もそれほど多くないかと思っていたのだが、開場に入ってみると意外と人が多くてビックリ。それも、年配のご夫婦やある程度マニア風の30〜40代ばかりでなく、デートのついで的な20代のカップルが散見されたのは意外な驚きだった。
展示は、以下のカテゴリーに別れていた。
第一章 兼密禅から純粋禅へ
第二章 夢窓派の台頭
第三章 将軍家と五山僧
第四章 五山の学芸
第五章 五山の仏画・仏像
一つ一つをゆっくり眺めていると、特に史料的に貴重なものが多くあることに気付かされる。重文の「夢想礎石像」などは、確か歴史の教科書でも見たような憶えがある。袈裟の類は、単眼鏡でじっくり見ると刺繍の細かさに驚かされる。また、第三章、第四章を見ていると、当時の禅寺が言わば大学(研究機関)のような役割をしていたり、中国留学から帰国した高僧達が外交官的な役割を担うこともあったなど、禅僧達の歴史における役割の多様性に強く気持ちを惹かれる。
また、手紙、日記、絵画への賛、経典、額字に至るまで、書の力のダイナミズムも強く印象に残る。書かれる字の姿形、筆の運びが僅かに違うだけでも伝わるものは異なってしまいそうな気がするのだが、500年以上も経った今、単なる記号という意味を超えて書き手の思いが感じられるというのは、なかなか凄いことだと思う。
美術品については、まずは高僧達の木彫のリアリティの強さに圧倒される。かなり凝ったものも少し簡略化したりデフォルメされたものもあるが、いずれも生きていた時の姿を活き活きと映し出していて、その人柄までも偲ばれるような気持ちになる。また、展示の終盤にあった各寺のご本尊である釈迦三尊像等については、やはり素直に手を合わせたいという気持ちにさせてくれるだけの勢いを感じた。
絵画の類も、確かに山水画や詩画図といった品々も貴重なのだと思うが、第五章に展示されていた「十六羅漢図」など世俗的な信仰の力強さを感じさせる作品がむしろ印象に残ったのは、全体に知性や高踏趣味に寄った展示品ばかり見てきたことの反動だったかもしれない。
それにしても、どこまで行っても結構地味なテーマの作品を、出品数のボリューム感も活かしながらそれなりに見せてしまう企画力は大したものだと思う。さらに、出口付近にあった寺々の写真などを見ると、秋に向けた京都観光の壮大なキャンペーンにもなっているのではないか、という気にもさせられた。
兵庫県立美術館 [Art]
前夜は遅くなったのでゆっくり起きて、10時過ぎに動き出す。この日は、以前から行ってみたかった兵庫県立美術館に向かう。
神戸在住時にはその前身の一つである県立近代美術館には何回か通ったが、東京にもどる1年前に完成したこの美術館は、残念ながら未だ足を運んだことがなかった。建設地自体が仕事柄縁のある場所でもありぜひ一度行きたいと思っていたので、ようやく思いが叶った形。
企画展としては、千葉県佐倉市にある川村記念美術館所蔵品による「巨匠に出会う名画展」が開催中だった。レンブラントやエコール・ド・パリの諸作品も並ぶが、一番ボリュームが多かったのは抽象からポップアートまでのアメリカ現代美術で、天井の高い美術館の空間の中でゆったりと楽しむことが出来た。ただ、もっとも印象に残ったのは、川村コレクションの出発点ということで順路の最後に展示されていた長谷川等伯の「烏鷺図」だった。
引き続き常設展である「コレクション展Ⅱ」へ。小磯良平と加山又造の記念室をじっくり見てから、小企画の「手ヂカラ、目ヂカラ、心のチカラ」へ。アイマスクをして手探りで展示室へ入るという企画だが、文字通り手探りで珍しい体験を楽しんだ。
猛暑の中、思惑どおり涼しい美術館で半日を過ごしてから一旦三宮に戻る。昼食は久々に「グリル十字屋」へ。つい最近、神戸に出張する同僚に紹介したら以前思っていた店の雰囲気と違うような報告を受けたので、今回実際に行ってみると、同じ場所にあるがビルが建て替えられ様子が少々変わっていた。とは言え、店の雰囲気はそれなりに受け継がれており経営者姉妹も以前のままで、神戸ならではのビフカツを食べて懐かしい気持ちに。
こうして半日たっぷりと神戸の今の姿を味わってから、三宮駅から阪神電車に乗って野田経由で大阪日本橋へ。