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レオナルド・ダ・ヴィンチー天才の実像 [Art]


レオナルド・ダ・ヴィンチー天才の実像
東京国立博物館

いよいよ会期末が今週末に迫ってきたので、土日よりはまだましだと思って金曜日に行こうと思い立ち、18時過ぎに会社を出て上野へ向かう。

到着すると、第1会場(本館)の「受胎告知」が20分待ち、第2会場は待ち時間無しということで、とりあえず第1会場の列につく。15分ほどで本館内に入り、手荷物検査を避けてコインロッカーにかばんを預け金属探知機をくぐって展示室内へ。中も幾重にも人が重なっている状況で、結局最前列を少しずつ歩きながら現物を眺めたが、ゆっくり見るというには程遠い状況で、正直に言えばここで強いインパクトを受けたとは言い難い。

イヤホンガイドの受付時間が19時15分までという案内にもせかされながら、そそくさと本館を出て平成館へ向かう。こちらは最初のコーナーから「受胎告知」のデジタル複製画による解説があり、それ以降も貴重とされる手稿類も殆どが複製品で、それらに基づくディスプレイ(日立製なので恐らく液晶ではなくプラズマ)上の動画が数多く展示されるなど、オリジナルの現物を見る迫力という意味では物足りなさを感じてしまう。

ところが展示を見続けるにつれ、人力飛行機、教会堂、動く獅子の人形(日本風に言えばからくり仕掛け)、人間の肉体各パーツの細部等々まで、手稿類等に基づいた模型類や再現図が数多く並べられることで、単に複製類だからインパクトが弱いということではなく、むしろレオナルドの意図をどうやって伝えようかという意気込みのようなものが伝わってくる。

そうした展示群を通して感じたのは、レオナルドが芸術家であるとか、天才であるとかということよりも、彼は今で言う「エンジニア」の神様のような存在であるということ。彼にとっては、肉体であれ機械であれその機能と構造を徹底的に分析し尽くすことが第一義であり、絵画も彫刻も結果としてそうした機能や構造に対する理解をを自らイメージする形象に具体化したものに過ぎないのではないか。その意味では、感性の人というよりもむしろ徹底して理詰めの人であったのではないかという気持ちを強くしながら、延長された閉館時刻の20時30分ギリギリまで粘って、会場を後にした。


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