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NODA・MAP「パイパー」 [観劇(その他)]

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NODA・MAP第14回公演「パイパー」
シアターコクーン 2009年1月31日(土)19時開演 2階B列27番

昨年の「キル」再演には行っていないので、一昨年の「ロープ」、番外公演の「THE BEE」以来となるNODA・MAP。今回も松たか子、宮沢りえ出演ということも相俟って人気チケットだったようで、e+のプレオーダーでは外れたが@ぴあで何とか入手。

舞台は未来の火星。火星に移住した地球人の移住後の歴史とフラッシュバックしながら進行する。それ以上はネタバレになるので詳しくは書けないが、パンフレット巻頭に野田自身が書いている「幸せは人間の病」「数字と気分(不幸せ)の悪循環」「自滅していく幸せ」といったものをはじめとして、現代の文化・文明の状況に対する批評・疑問を含む様々な寓意が重層的に散りばめられている。その中でこちらも、例えば「火星=日本?(では地球は?金星は?)」といった連想に次々と思いを巡らしていく。

ただ、そうしたテーマに対し劇中で明らかな答えが提示されるような底割れは見せないものの、逆にやや拡散したままの印象が否めなかったのも正直なところ。野田独特の言葉遊びも連発されるが、こちらの慣れもあってか意外と切れ味が感じられなかった。さらに、終盤まで持ち越された謎は人間にとって古く重いタブーに絡むものだが、割合と早い段階で見えてきてしまったこともあって、その衝撃が他を圧するほどインパクトが強いということにはならなかった。

一方役者のパフォーマンスとしては、まずは宮沢りえがほぼ全編を通じて強い存在感を維持する。松たか子は前半から中盤までの無垢な妹のときはまあまあだが、終盤にかけて主体的な強さが出てきてからと母親役に切り替わる部分では、本来のせりふの強さと凛々しさを感じた。橋爪功は身体も良く動くばかりでなく、醸し出す雰囲気も含めさすがの巧さ。以上の顔ぶれと同等にほぼ出ずっぱりの大倉孝二も、凡庸になりかねない役を過不足なく見せていた。佐藤江梨子は意外な活躍とまではいかなかったが、邪魔にはなっておらず一生懸命さは伝わってきた。パイパーというロボット達はコンドルズが扮していたが、彼らが受け持つ必然性までは伝わってこなかった。

歴史の場面と行き来する際の照明効果や舞台上の転換は、スピード感もあり悪くない。一方で気になったのは、音楽にクラシックを多く用いているのだが、それがベートーヴェン「交響曲第6番『田園』」、ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」など超有名曲がほとんどだったこと。そのことの陳腐さ自体が狙いなのであればともかく、そうでなければこういうことを意識させない工夫をして欲しい気もした。

こうして挙げてみるとネガティブな感想が多くなってしまったが、2時間5分の舞台として楽しんだことは確かだし、むしろ知らず知らず期待度を上げてしまった結果ということなのかもしれない。

終演後は、途中でHMVに寄ってちょっとCDを物色してから、大人しく帰宅。


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「放浪記」 [観劇(その他)]

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シアタークリエ オープニングシリーズ

菊田一夫生誕百年
放浪記
菊田一夫=作 三木のり平=潤色・演出 北村文典=演出

シアタークリエ 2008年1月27日(日) 14時30分開演 11列13番

昨年10月演舞場の「寝坊な豆腐屋」で、初めて森光子の舞台を観て、やはりこれは代表作の「放浪記」も観ておこうかと思いチケットを取った。その後で、今回からは体調も考慮して名物のでんぐり返しを封印するというニュースが流れた時には少し残念に思ったりしながら、観劇当日を迎えた。

舞台は、幕間の場面転換に原作からの引用と往時の風景写真などを絡めた映像を挟みながら進む。第四幕第一場「世田谷の家」で描かれれている場所は今の住まいからすぐ近くで、その点でも親近感を感じる。

登場する役者達は、米倉斉加年、山本學、高畠淳子、斎藤晴彦、大出俊、中島久之、大塚道子、有森也実といった新劇や商業演劇の錚々たる顔ぶれだが、殆どが何度も勤めている役だけに本当に無理のないアンサンブルで主役を支えながら芝居が進行する。

そして主役を1900回近く勤めてきた森光子だが、それだけの回数を重ねつつもどこかチャレンジングで慣れで流していると見える部分は殆ど感じられないし、節目節目では想いの籠もった演技できちんと泣かせてももらえた。

ただ、時として手の震えが見えたり、台詞に一瞬間が空いたりと、厳然と年齢を感じざるを得ない瞬間はあり、その時には「上演が続いている内に観ることが出来て良かった」という思いと「芸が成熟しつつまだ若さを保っていたであろう全盛期に観ておきたかった」という思いが交錯するものの、どちらかと言えばやはり前者ということになるだろう。月並みな感想になってしまうが、身体が続き観客に見せる舞台として成立する限りは、ギリギリまで続けてもらいたいものだと思う。

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"RENT" Japan Tour : Christmas 2007 [観劇(その他)]

Broadway Musical "RENT" Japan Tour : Christmas 2007
東京国際フォーラム ホールC
2007年12月15日(土)18時開演 2階13列32番

ミュージカルは日本人キャストのものは今ひとつ熱心になれないのだが、来日公演の方はやはり気になる。これも、舞台はもとより映画でも名前だけは耳にしていたものの、ストーリーも殆ど知らない状態ながらチケットを入手していた。

その後、この日に会社の関係のゴルフが重なることとなり、場所と時間によっては行けないかと思っていたが、何とか千葉・茂原から戻ってきて間に合うこととなり一安心。京葉線の東京駅は実質有楽町の東京国際フォーラムの真下なので、思った以上に余裕を持って開演時間に間に合った。

オペラ「ラ・ボエーム」を下敷きに現代のニューヨークを舞台とした若者群像劇、と言うといかにも陳腐だが、人種、ドラッグ、セクシュアリティ(ゲイ)の問題が珍しくない日常的な事象として展開するとともに、何よりHIVが避けがたい存在として登場する。しかも、必ずしも豊かでない若者のHIVポジティブ達が治療薬を定期的に服用している場面など、それが決して特異なことではないように描かれるのは、既にエイズの本格的流行から15年ほど経過していた当時のアメリカではもう当たり前だったのかもしれないが、それから更に10年以上経過した現代の日本でここまでの一般的認識は依然として少ないだろうということに、改めて重苦しい想いになってしまう。

一方でミュージカル作品としての仕立ては決して先鋭的な印象ではなく、楽曲のメロディも歌唱も極めてバランスの良いものであり、また台詞によるやりとりは殆ど無く、程良く象徴的・暗示的な歌詞によって物語が進行するのも、ミュージカルとしてはむしろ好ましい印象。そうした音楽的な充実感と相俟って、ストーリー展開も素直に感情移入でき涙を誘うものだったと思う。また、事前にこの会場は音響があまり良くないという話も聞いていたが特にそれも感じることなく、ゴルフの疲れで眠気を感じるようなことも全くないとても充実した時間となった。


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婦系図 [観劇(その他)]

新派公演「婦系図」
三越劇場
2007年8月12日(日)11時30分開演 1階4列21番

なかなか観る機会の少ない新派。その中でも言わば古典中の古典であるこの作品だが、正直なところ実際の舞台を観るのは初見。

以前に演舞場で見た「京舞」とは異なり明治期の泉鏡花作品であるだけに、「旧派」である歌舞伎に対する「新派」として成立しながら未だその影響が色濃い時代の雰囲気を感じることができた。何と言っても緞帳でなく定式幕が引かれ、舞台の音楽も黒御簾を中心に進行し、多くの場面で清元などの余所事浄瑠璃が効果的に用いられる。特に「湯島境内」では「雪夕暮入谷畦道」(三千歳直侍)を下敷きにして芝居が進行し、幕開きに出てくる声色師が直侍を「橘屋の声色」で唸ってみせるなど、歌舞伎好きには極めて入りやすい世界が展開される。

そんな作品を、今回の新派では多くが初役で勤めているというが、何せ初見であるため比べようがない。それでも、芝居のレベルは総じて高くきちんとした舞台を見せてくれるのは、伝統を保ちながら少人数の凝縮された世界で頑張ってきているためかもしれない。

今やそんな新派の看板女優の一人となっている浪野久里子は、さすがに何度も演じてきているだけのことはあり、新派見物の素人にも独特の雰囲気を十分に感じさせてくれるのは嬉しい限り。一方の早瀬主税は、平成に入ってからは孝夫時代の仁左衛門、吉右衛門、團十郎、近藤正臣などが演じている。今回は初役の風間杜夫だが、新派出演の数を重ねてきたこともあってか、小劇場や映像作品から想像されるよりも違和感ははるかに小さく、「新派大悲劇」らしい締め括りにも十分に感情移入できて楽しませてもらえた。

終演後にまず思ったのは、やはりもう少し新派を観る機会を持とうかなということ。せめて初代八重子の舞台でも観ていればと今更言っても仕方ないが、歌舞伎や文楽と比べてもかなり限られた客層に支えられていると思われることからも、生き残りの姿がなかなか見えにくいのは正直なところだけに、今の舞台を貴重な機会と考えたい、と思った。

もう一つ、あまり脈絡なくぼんやりと考えたのは、上記の顔ぶれを別にして、中堅・若手を中心に早瀬主税役に相応しい歌舞伎役者はだれかいないかな、ということ。染五郎、愛之助、錦之助などとつらつら思い浮かべて想像してみるのは、意外と面白かった。


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ダンダンブエノ「砂利」 [観劇(その他)]


劇団♫ダンダンブエノ 双六公演「砂利」


かめあり・リリオホール 2007年7月6日(金) 18時30分開演 1階12列5番

作=本谷有希子
演出=倉持裕
出演=坂東三津五郎、田中美里、片桐はいり、酒井敏也、山西惇、近藤芳正

いつだったか忘れたが、チラシで見て「坂東三津五郎初の小劇場出演」というのが気になってはいたものの、そのままにしていた。今週になって、めざましテレビで本谷有希子の特集がありそこで紹介されているのを見て、やっぱり行ってみようかと気持ちが動いた。すぐにチケットを探すと青山・スパイラルホールでの本公演は既に完売だったが、地方公演のスタートという位置付けで実質初日となる亀有での公演には空きがあり、何とかチケットを入手。会社を定時より少し早めに出て会場に向かう。

ホールには駅前再開発で出来たイトーヨーカ堂の最上階9階に店内のエレベーターで上がっていくが、場内はなかなか立派。幕は下ろされておらず、舞台上に古い二階建ての家と砂利敷きの庭というセットが置かれている。

近藤芳正が主宰する年に一回の公演の6回目ということだが、公演ごとに出演者と脚本家、演出家を決め、出演者のエチュード(即興芝居)をしながら俳優毎のイメージを掴んで当て書きする形で作られるのが特徴とのこと。パンフレットの各俳優へのインタビューにほぼ共通して「意地悪目線」「見透かされた気分」などの言葉があるのが面白い。

結果として気鋭の脚本家・本谷有希子が書いた登場人物は、亡くなった父の介護疲れに加え少年時代にいじめた相手の復讐におびえる兄・蓮見田(坂東三津五郎)、父の介護を兄に押しつけた負い目を感じながら兄の面倒を見る弟・孝生(近藤芳正)、蓮見田の身重の恋人でおびえを共有しつつ少しテンションの高い女・有里(田中美里)、兄弟の家の同居人で覗きが趣味の肺疾患の男・戸所(中西惇)、箱を大事に抱えて隠し場所を探している男・小森橋(酒井敏也)、そして有里の姉として登場する女・際(片桐はいり)。

ここからの展開はネタバレになるので控えるが、確かにそれぞれの役者の個性を生かした舞台が出来上がっている。小劇場らしい輝きが際立っている片桐はいり、個性を出しつつ微妙に脇に廻っている感じの中西惇、酒井敏也、味わいはあるが主宰疲れかもっと弾けてもよさそうな近藤芳正、芝居の枠に収まらない妙な存在感を見せる田中美里、そして復讐や男女関係に絡む大きな事態の変化にも喜んだり怒ったりできない男という役柄を誠実に勤める坂東三津五郎。

この「極端に感情の動かない」という部分の奇矯さが、今回の芝居の大きなテーマになっている。ただ、インタビュー記事で三津五郎や中西惇も言及しているが、私自身にとっても決して理解できなくはないという感覚もあり、どこか落ち着かない気分にさせられるが、それは当然ながら脚本そして芝居の狙いだろう。

またそのこととは別に、感情の起伏の無い男を歌舞伎役者が演じることの意味にも思いを巡らしたりしてしまった。もっとも、この日の観客で歌舞伎座での三津五郎を観たことのある人は意外と少なかっただろうが。

他にも、蓮見田と孝生、有里と際という兄弟、姉妹間の独特な感情と葛藤、同じように妄想の世界に生きながらタイプの違う戸所と小森橋、といった様々な関係性やテーマが垣間見えるが、説明的にもなり過ぎず、かつ消化不良にならないのは演出の功績かも。

上演時間は休憩無しの2時間強だったがそれほどだれることもなく、最後はカーテンコール2回。完全に持って行かれた、大感激したということではなかったものの、急遽チケットを買って亀有まで来た甲斐はあったかな、と思える舞台だった。


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京劇西遊記 火焔山 [観劇(その他)]


京劇西遊記 火焔山
東京芸術劇場 中ホール
2007年6月30日(土)16時開演 1階B列21番


京劇といっても映画「さらば、わが愛/覇王別姫」を観たくらいが精一杯で、何とか生の舞台を観たいと思いながらこれまで何故か機会が無く、ようやくその思いが叶った形。今回は吉林省京劇院による公演で、パンフレットを見るとスーパー歌舞伎との競演という記述があり、「新・三国志」シリーズで素晴らしい立ち回りを見せていたのはここのメンバーだったのかと気付く。この劇団自体が全中国の中でどのような位置付けにある団体なのかは今一つ定かではなく、また本作もお馴染みの題材を元にした1980年の新作であり古典劇でないのは少し残念だが、主催者でもある日経新聞のネット記事でも「入門編としてはうってつけ」とあり、まずは観てみないと始まらないと思いながら開演を待つ。

会場の東京芸術劇場自体も訪れるのは初めて。大阪梅田のシアタードラマシティを一回り小さくしたようなイメージ。席は前から2列目で、舞台脇の字幕表示も見難いことはなく一安心。

開演に際しては火焔山の存在とロケーションに関する日本語でのナレーションがあり、その後幕が上がって芝居が始まる。舞台上手奥に言わば黒御簾的な音楽を演奏するメンバーが居るが、打楽器を中心とした鳴物は伝統楽器のようだが、弦楽器的なものやSE的な音響については電子楽器を活用していた。

物語は以下のとおり。玄奘三蔵一行が西域の火焔山にさしかかると日照りで民も苦しんでおり、一行もその暑さ故に山を越えられない。芭蕉洞に住む鉄扇公主(羅刹女)の持つ芭蕉扇だけが炎を消せるので孫悟空が借りに行こうとする。彼女の夫・牛魔王と孫悟空は義兄弟の契りを結んでいたが、夫婦の子で暴れ者であった紅孩児が三蔵の肉を食べようとして孫悟空が南海観音菩薩に助けを求め、その導きで紅孩児は改心し善財童子となり天上界に住むことになった。しかし、子供と生き別れることになった夫婦は孫悟空を怨んでおり、願いを聞き入れない。そのため鉄扇公主・牛魔王夫婦と孫悟空たちとで芭蕉扇を巡る虚々実々の駆け引きと争いが繰り広げられるが、最後は南海観音菩薩が童子を夫婦に会わせ、天上界で悟りを開き暮らしている姿に安堵し、芭蕉扇を孫悟空に貸し与える。

見ているとやはりどうしても歌舞伎と比較してしまうのだが、古典をベースにしたストーリー、「見得」と同様の極まりの所作、役柄を象徴する鮮やかな化粧、といった点は良く似ており親近感を感じる。反面、主役級の役者(男女とも)を含めたアクロバティックな動き、主役級の女優による独特の節回しと高音を効かせた歌唱、女形の存在の有無(元来は京劇にもあったわけだが)、などが決定的に異なるのは今更言うまでもないが、実際の舞台を観ると改めてそれらを具体的に認識させられる。

休憩を挟んで二部構成、約2時間強の舞台で、一幕目の後半は少々だれた感じもあったが、終盤にかけて立ち回りの緊張感とお約束の締め括りで楽しませてくれ、客席も十分盛り上がって終演後も2回のカーテンコールがあった。

京劇も明らかに伝統芸能の一つであるわけだが、歌舞伎や文楽と同等に楽しんだり、役者達の演技や力量を云々するにはまだまだ縁も遠く勉強不足なのも正直なところで、今後ともぜひ定評のある劇団による極めつけの古典を中心に観る機会を増やしてみたい、などと考えながら劇場を後にした。


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NODA・MAP「THE BEE」(日本バージョン) [観劇(その他)]


NODA・MAP番外公演「THE BEE」(日本バージョン)
シアタートラム
2007年6月23日(土)19:30開演

家からほど近いキャロットタワーにある劇場のうち、世田谷パブリックシアターはこれまでも何回か足を運んでいるが、シアタートラムの方は今回が初めて。人気のNODA・MAPの公演ではあるが運良くチケットも取れたので、いそいそと劇場へ。

中へ入ると、階段状の客席の下に多目的に使えそうな平場の舞台が広がっており、新しさとシンプルさが感じられる小劇場といった雰囲気。天井から吊されて舞台面に敷かれた大きなベージュの紙が目を引く。ロンドンでの上演時とは異なる舞台装置だったようだが、この大きな紙が時にはバリケード、時には斬り欠いた窓やドア、更には引きちぎられて封筒になるなど、舞台演出における変幻自在な役割を果たしていた。

物語は筒井康隆の小説をベースに、脱獄した殺人犯・小古呂が妻と息子を人質に取り、自宅に立てこもられてしまったビジネスマン・井戸が、犯人の妻と息子の家に立てこもることとなって、次第に暴力と狂気をエスカレートさせていくという、ある種の不条理劇。

芝居の序盤は無力かつ形式主義的なな警察や事態を演出された映像に仕立てようとするマスコミの姿を揶揄的に描き、中盤以降は井戸が暴力に取り付かれ、報復合戦の応酬をしていく様を井戸の側から生々しく描く。

まず前半では、野田秀樹に加え、秋山菜津子、近藤良平、浅野和之という出演者4人が、複数の役を早替わりよろしく瞬時に演じ分ける様が圧巻。一方、後半でのある意味凄惨な場面の繰り返しが儀式化していく場面では、不思議なリアリティと象徴的演技の繰り返しが、得も言われぬやるせなさを感じさせ、客席も静まったまま舞台を見つめる形となっていた。

野田秀樹はパンフレットの巻頭で、叶恭子の登場する夢を悪い夢、叶美香の出る夢をいい夢と定義した上で「どうやらいい夢指向の観客が劇場を支配しているようだ。私はそれが気に入らない」「たまには、涙を流してさっぱりしないで、そんな悪夢も見てください」とコメントしている。今日の観客は野田秀樹の芝居を承知で来ている者が殆どと思われ、いい夢を見ようとするより野田秀樹の意図を汲み取ろうとする客の方が多く、上記のコメントのように突き放す対象となっていたかという疑問は残るが、挑戦的かつ完成度の高い舞台であることは間違いないと感じながら、劇場を後にした。


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"CHICAGO" [観劇(その他)]

ブロードウェイ・ミュージカル「シカゴ」東京公演
日生劇場
2007年2月17日(土)18時開演 1階XB列25番

この日は日生劇場へ向かう前に、今年も杵屋栄十郎さんからお誘いのあった「第20回『とろう会』写真展」に顔を出す。昨年と同じ、銀座2丁目・伊東屋裏にあるカラー写真関連の会社である(株)日本発色のビル1階のギャラリー「GINZA SPACE 5」へ。鳥羽屋里長師によるマッターホルンの雄大な姿、栄十郎さんによる秋の京都、昭和ひと桁生まれのベテランアマチュアカメラマン遠藤さんによるケニヤの野生動物、等々の多彩な写真を楽しく拝見する。昨年は同じ2月の開催時に博多座ご出演だった栄十郎さんも、今年は歌舞伎座(七段目の黒御簾)なので開場におられ、他の方の写真の解説なども含めお話をすることができた。

5時過ぎにギャラリーを出たところ丁度雨が降り出したが、そのまま有楽町を通って日生劇場まで歩く。

もともと学生時代の1980年代半ばに初めてNew Yorkへ行ったとき以来、ブロードウェイ・ミュージカルは大好き。あまり熱心というほどではないが、来日公演の類もぼちぼち観ている。今回もたまたま「@ぴあ」で見かけて「たまにはミュージカルもいいかなぁ」と思ってチケットを確保した。

ボブ・フォッシーのオリジナル版は1975年、その後上演が途絶えていたが1996年にリバイバルしてからはブロードウェイを代表するミュージカルとして名声を得た作品。昨年は上演10周年を記念して歴代の出演者が集結したガラ・コンサートも開催され、その流れを受けて今回の4回目となる日本ツアーが企画されたらしい。

ストーリーは、1920年代のシカゴを舞台に、愛人を殺害したヴォードヴィルスターを夢見る女性ロキシー・ハート(MICELLE DeJEAN)、妹と夫を撃ち殺した歌姫ヴェルマ・ケリー(TERRA C. MacLEOD)、そして悪徳敏腕弁護士のビリー・フリン(元Backstreet BoysのKevin Richardson)が、したたかに立ち回りながらもメディアの狂騒に振り回されていく姿を描く。

ステージは、黒一色の舞台中央にジュエリーボックスを模したジャズ・オーケストラボックスがあり(編成は2トランペット、2トロンボーン、3サックス、バンジョー・バイオリン・ピアノ・チューバ・指揮者各1)、その前で芝居が進行する。出演者は上下黒の下着・ストッキング姿で唄い踊るが、意外とセクシーに惹きつけられると言うよりは、ダンスのフィジカルなの切れの良さが目につく。

休憩を挟んで2時間20分の舞台は、前から2列目の中央という素晴らしい席だったこともあり、エンタテインメントとしてはまずまず楽しめた。特にダンスの躍動感はなかなかのもの。ただ踊りに比べると、まず演技の部分はキャラクターの生かし方も含めまずまずというレベルで、更に歌についてもきちんとこなしているものの期待水準にやや届かないというのが正直な印象。結果としては、ワクワクするようなインパクトまでは無かったのは少々残念。

また、今回のキャストは全てNewYorkもしくは世界ツアーでの経験者ばかりだが、10年前のオリジナルキャストや、かつてロキシーを勤めたというMelanie GriffithやBrooke Shieldsなどの舞台も観てみたかったというのは、無い物ねだりか。実は映画版も観たことはないので、そちらは機会があれば一度DVDででもチェックしてみようかと思う。


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NODA・MAP「ロープ」 [観劇(その他)]

野田地図 NODA・MAP 第12回公演 「ロープ」
2007年1月17日(水) 19時開演 
Bunkamura シアターコクーン 1階XA列5番

年末年始にかけてチケットを確保しようと動いたが、土日・休日はいずれも入手できず、まあいいかと諦めていた。ところが新年早々に会社の後輩が「仕事の関係でどうしても行けなくなってしまったので、引き取って貰えませんか?」と言ってきた。自分自身もそれなりに仕事は立て込んでいたのだが、席は最前列ということでどうやって確保したかと気の毒にもなり、何よりも渡りに船ということで、喜んでチケットを引き取ることにした。

会社から直行で劇場に到着すると、平日ながらほぼ満員の様子。客層は予想以上に女性の比率が高い。

昨冬に「贋作・罪と罰」再演を観て以来の野田秀樹だが、今回はプロレスをモチーフにした「暴力」、そしてその究極の形である「戦争」の話。他のブログなどの記事で「重いテーマ」という表現をよく見かけるが、むしろテーマとしては普遍的ではないかと思う。チャップリンの「殺人狂時代」と同種の表現も登場し、終盤で登場するベトナム戦争とミライのエピソードなども含め、全体に非常にストレートだ。

終演後、やはり戯曲が読みたくなりロビーで売っていた「新潮」2007年1月号を買い求めたところ、そこに主要参考資料として掲載されていたのが、"A Look back upon Son My"(クァンガイ省一般博物館資料)と、もう一つは以下の書籍。

「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」―ベトナム帰還兵が語る「ほんとうの戦争」

海兵隊に従軍したベトナム帰還兵による子供向けの講演記録とのことだが、ベトナム戦争における虐殺と脱走兵のエピソードはこの書物にベースを置いていると思われる。「『暴力の大義』の嘘」「匿名性の恐ろしさ」「『見せる暴力』から『本物の暴力』への連続性とエスカレーション」といった内容をあまり斜めに構えずにストレートに描いているのも、この書物故ということかもしれない。描き方が分かり易過ぎるという声もあるようだが、宮沢りえや藤原竜也の起用も、集客力を目一杯活用してでも幅広い層にこのテーマをぶつけたいという野田秀樹の意図があるのではないか。

観劇の途中で、我々の世代以上であればベトナム戦争における虐殺の代名詞として一度は耳にした「ソンミ村」といった地名も脳裡に浮かんだが、これとても若い世代には遠い存在なのではないか。この日はたまたま阪神淡路大震災から12年目に当たる日であったわけだが、テーマこそ違うものの「命の尊さ」「災厄の悲惨さ」を語り継ぐことの重要性という意味では通じるところがある、ということも胸をよぎった。

芝居自体のことについて言えば、まず主演の二人のうち宮沢りえは、登場直後はやはり少し声が細いかと心配したものの、中盤以降はマイクを通したリング(戦争)の実況ばかりでなく地の台詞でもしっかりと通る声を出していた。コロポックルと自称しているが実際にはベトナム出身という設定も、彼女の透明感や細くて長い手足と良くマッチしているように思えた。

藤原竜也は、プロレスは八百長でないと信じている(ように振舞う)純情なレスラーのヘラクレス・ノブナガというやや複雑な役どころで、ジャージ姿ではおよそレスラーには見えないが、タイツ姿でリングに上がるとそれらしく見えるのは不思議。芸達者な周囲の俳優に負けない独特のオーラを発していたと思う。

ワキを固める顔ぶれの中では、ノブナガとタッグを組むカメレオン役の橋本じゅんが良い味を出していた。ボケ担当のプロレスラーから戦場の狂気に支配された戦士への変貌が鮮やか。

もちろん、野田秀樹と渡辺えり子の夫婦役というのも、とても贅沢な組み合わせ。小ネタ満載の芝居をアドリブを駆使しながら自在に展開しながらも嫌みはない。

それにしても、芝居の全般を通じて携帯電話で指示を出す黒幕の「ユダヤ人の社長」という表現には、「おいおい、いいのか?」と冷や冷やしながら観ていたが、終盤近くに「でもユダヤ人じゃないことだけは確かね」「え?ユダヤ人じゃないの?」「だって、八百長の元締めが、ほんとのこと言うわけないでしょ。」という形で見事にはぐらかされてしまった。この言葉自体にストレートな象徴性を持たせているというよりは、いかにもそれらしいけれど実は紛い物、ということを現したかったのかもしれない。

最後に印象に残ったのは、やはり終盤でタマシイが語る「私のミライは滅んだ。けれども、あなた達の未来はまだ、天気のいい朝に、四時間で滅んではいないのだから」という台詞で、これには素直に胸に迫るものを感じることができた。


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「朧の森に棲む鬼」 [観劇(その他)]

INOUE KABUKI SHOCHIKU MIX
「朧の森に棲む鬼」 Lord of the Lies
新橋演舞場 2007年1月6日(土)17時30分開演 1階6列41番

劇団☆新感線は2003年新橋演舞場での「阿修羅城の瞳」再演が初めての出会い。その後、2004年日生劇場での「髑髏城の七人」(アオドクロ)を観て以来、ほぼ2年半ぶり3度目。最初は、あくまでも染五郎とのコラボということと、「阿修羅城の瞳」再演時の天海祐希が観たかったこと、更に馴染みの演舞場ということで敷居が低かったというのがきっかけ。
そういう意味では、昔からの新感線ファンとはむしろ逆ルートだろうし、最近の「吉原御免状」「SHIROH」「メタルマクベス」なども見逃しており、そもそも「新感"染"」しか観ていないので、決して熱心なファンというわけではない。ただ、エンターテインメントとしてはまずまず楽しませて貰えるという期待感はあり、また馴染みの演舞場の正月公演ということもあって、今回も足を運ぶことにした次第。

正月の演舞場なのに場内に入るとヘヴィメタルの大きな音に迎えられるのは「いのうえ歌舞伎」らしく、ワクワク感と言うよりはむしろ「たまにはロックも良いなあ」という懐かしさ(?)を感じたりする。

「リチャード3世」「マクベス」などを下敷きに、どんな嘘も仕立てる舌先と弟分・キンタ(阿部サダヲ)の腕っ節を利用してのし上がろうとする男・ライ(染五郎)が、森の魔物・オボロとの契約で自分の命と引き替えに、舌先と同じく動く剣を手に入れ、エイアン国の王になる望みに向かっていくという物語で、ライは最後まで悪役としてのし上がり、そして滅びていく。

全体を通しての感想は、やはり染五郎の魅力とアクション(殺陣)を中心とした舞台となっており、その力でやや強引に最後まで押し切ったという印象。いやもちろん全体として楽しませて貰えたし、特に第二部で裏切りを重ねる場面や大詰での本水での動きなど、骨太な集中力に引き込まれる。台詞のやりとりもあまり気恥ずかしさを感じずに物語の世界を味わい、小ネタ満載の笑いも満喫することもできた。ただ、どうしてもここでの染五郎に対しては、歌舞伎という素養をベースにどこまでの働きができるか頑張って欲しい、と思いながら少し冷静に見てしまうので、染贔屓の方々の見方とは少し違うかもしれない。

他の役者については、まず誰が見ても思うとおり、阿部サダヲが儲け役でかなり美味しいところを持って行っていたし、染五郎と並んで身体能力の高さも見せる。特に、後半の特殊な殺陣(ネタバレ感もあるので伏せるが)も格好良かった。ちろん、古田新太(マダレ)も結構細かい芝居をしながらさすがの存在感で、歌舞伎で言う戻りの演技はちょっとゾクッとさせてもらった。ただ、男の見物からするとキンタと共に自己投影できる数少ない役なので、もう少し前に出た演技でも良いかもしれないと思った。田山涼成(オオキミ)は、本人がプログラムのインタビューで「夢の遊民社時代の血が騒ぐ」言っているように違和感なく役どころを押さえ、普段テレビで見るのとは違う味わいを見せてくれる。

また、座付きトップ女優である高田聖子(シキブ)もほぼ期待どおりの達者なところを見せる。だが、女優について更に言えば、今回は少々物足りないというのが正直なところ。秋山菜津子(ツナ)は幅のある演技を見せかなりの熱演ではあるし、真木よう子(シュテン)もやや一本調子ながら切れを垣間見せる場面もある。ただ、この3つの役が少しずつキャラクターがかぶっている(前二者は恋に生きる女、後者は女戦士)というのも少し辛い面があるかも。「阿修羅〜」再演時の天海祐希、夏木マリといった強烈な存在感を求めてしまうのは反則かもしれないし、客演で誰が良いかとなると難しいのだろうが、やはり男の見物としては女優でドキドキさせて貰いたいと思うのはやむを得ないところ。

他に気になったところでは、最初の部分でのオボロ達の唄にややバラツキが感じられたことくらいか。プレビューや初日のレポで指摘されていた音響のトラブルは、この日はあまり感じられなかったので、PAサイドの技術的な修正はかなり進んだのかもしれない。

食事は2階のkabesu-chayaで軽く食べようと思って予約所を覗くと「おぼろ月見ソーメン五郎」(1000円)というのがあったので、トライしてみる。品名は朧と染五郎に引っかけた駄洒落らしいが、エビ天と月見入りにゅうめんで暖かいし腹持ちも良く結構狙い目かも。

プログラムは、出演者紹介に加え、いのうえひでのり、中島かずき、染五郎のインタビューが興味深く充実しているが、特製カレンダーとセットで綺麗な紙の手提げ袋に入って3000円というのは、少々悩ましい。私としては、2000円でも良いので抱き合わせでなくプログラムだけで売ってほしかった。

終演後は、浅草第二部観劇後に既に少々出来上がった観劇仲間と銀座で21時30過ぎに合流。遅くまでやっている店を探して、以前からお気に入りの沖縄料理店「竹富島」へ。いつもの顔ぶれ、久々の東京観劇というメンバー、更に初対面の方も交え、久米仙のシークヮーサー割りなど飲みながら、2時間ほど盛り上がってお開きに。


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